"The more you know,the less you need."(知れば知るほど、必要なものは少なくなっていく。)・・・・・・・・・・・・・
 
Pick Up & In4mation
当ブログについて
当ブログは個人が発信しているページです。ゆえに管理人の偏った考え、主張、時には偏見など見る方によっては、
不快に思われる部分があるかもしれません。閲覧いただくのは大変うれしいのですが、不快に思われてまで見ていただこうとは思っておりませんので当ブログをご覧になって不快な思いをされる方はどうぞブラウザをお閉じください。管理人の琴線と合う方と交流できればと願っております。趣味、趣向が違うなと思われた方は、どうかお立ち去りくださいませ。
※なお、管理人宛メールフォームにて問い合わせ、メッセージを送信する場合、本名かつ フルネームや連絡先を記載していない方に対しては、返信を控えさせていただいております。
最新の情報
◇2016年もよろしくお願い申し上げます。
◇OSRAM COPILOT Mの電球タイプは生産終了となりました。現在はLEDタイプに変更、デザインも変わっています。
円安のため、輸入は保留です。新しいデザインでも欲しい、値段は高くてもいいという方は別途ご相談に応じます。
メールフォームよりお問い合わせください。
イベント情報&どうでもいい連絡
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日曜日、本日と日光、中禅寺湖、奥日光に行ってきました。

紅葉は終わっていましたが、雪も少し山頂には残り、

素晴らしいロケーションのもと、日本六大クラッシックホテルの

一つである、日光金谷ホテルに宿泊してきました。


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軽井沢、万平ホテルに続き2ホテル目です。

アップグレードになり、築76年の別館の最上階3階の


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日光東照宮側の一番眺めのよいお部屋に泊まらせていただくことが

でき、とても有意義な旅でした。


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今年で、創業140年の歴史あるホテルです。

近代的な今風のホテルが好きな人にはただのボロいホテルにしか

感じないと思いますが、


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近代文化遺産にも指定されている由緒ある建物に宿泊できるなんて

とても素晴らしい体験だと思います。


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詳しい旅の模様は別途アップしたいと思います。

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紅葉の日光もいいけど、初冬の日光もいとをかし…。

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今日はこの辺で寝ます…。





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この日の四万十は寒かった。

けど、うちのカエルビー君は1発始動です。

立ち上がり、オートチョークが効き始めた時の動画です。

音は悪いけど、実際はgoodな空冷サウンドですよ❤


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前日は、67camperさんとやまけんさんと夕方にお別れし、KAZUさんのご配慮で近くの十和温泉に泊まらせていただくことができ、かつ夜はおいしい焼肉をごちそうになり、ゆっくりと休むことができました。KAZUさん、この場を借りてお礼申し上げます。

早朝、凍てつく四万十を出発し、朝焼けのきれいな高知を一路本州へと向かいます。ビートルも毎日数百キロ走り続けて9日目。なんとなく疲れが見え始めた感じです。

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途中、高知道で40000キロ達成しました。正確に言うと140,000キロですね。この調子だとすぐに200,000キロになりそうです。

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帰りの瀬戸大橋も風もなく、順調に走ることができました。67camperさんがいつかブログで書かれていましたが、風のある時の瀬戸大橋は空力の悪い空冷ワーゲンでは、左へ右へ風でフラフラになり、それはもう生きた心地はしません。管理人も一昨年の瀬戸大橋で経験し、最高速度40キロしかだせない、まさに生きた心地がしないくらい激しい風に吹かれたことがあります。



↑管理人撮影瀬戸大橋を渡るうちのビートルの動画です。

ブレはご容赦ください。


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今日は、岡山のワーゲンつながりお仲間、おやぢらぢをさんと尾道に行こうということになっていました。
管理人のワーゲンは駐車場に置いて、おやぢらぢをさんのVolvoでいざ尾道へ。ロープレッシャーターボのVolvoであっという間に尾道へ。日曜日のこの日、尾道ラーメンの朱華園はもちろん大行列、市営駐車場に車を置く際は行列のできていなかった、「つたふじ」も車を置いて出てみると、行列…。仕方ないので名もないラーメン屋さんで昼食。でも結構おいしく当たりでした。

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途中おやぢとおやぢになりかけの二人で、尾道路上観察、二人で狭い小路をバシバシとります。最近、銀塩写真に凝っていらっしゃる67camperさんやKAZUさんも一緒だったら、絶対にいい被写体がたくさんあったに違いありません。

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ブログ写真はケータイカメラでしか撮らない管理人はこんなショボイ写真に…。トホホ…。

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写真撮影に夢中になっていらっしゃるおらぢらぢをさん。休暇1日目にアップした不二オートサービスに奥さんの嫁入道具でお越し入れしたワンオーナーワーゲンをメンテナンスに出されていたご縁で仲良くなり、もう10年近い日々になります。当時ルノー4に乗っていた管理人は、ビートルのエンジン音にやられてしまい、空冷ワーゲンの泥沼生活に足を入れるきっかけとなったのでした。

そう、僕が空冷に乗るきっかけを作ってくださったのが、おやぢらぢをさんであり、氏のワーゲンなのです。社会的地位の高いご職業に就かれているにもかかわらず、歳の離れた若輩者にも気さくに接してくださり、生意気な管理人をいつも大目に見てくださり、本当にありがたく思っていますし、素晴らしいお人柄です。いつも管理人が岡山で途中下車する際はご連絡すると、お忙しい時間を割いて会っていただいています。おやぢらぢをさんファミリーもとてもナイスなご家族で、管理人が理想とする家族像の一つだと思うくらいです。

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尾道帆布の近くのセレクトショップに置いてあったbicycle.なかなかいかしています。

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久しぶりに尾道の空冷仲間のminatoさんのお店アイスクリーム「からさわ」さんにも立ち寄ることができました。日曜日でお忙しそうで、なかなかお話でできませんでしたが、お元気そうで久しぶりのからさわアイスに管理人も大、大、大満足。初めてのおやぢらぢをさんも大満足。二人でたっぷりお土産のアイスを注文しました。

minatoさん、今回はゆっくりできませんでしたが、またよさせていただきます。

皆さんも雑誌BRUTUSのスゥイーツ特集で

アイス部門1位に輝いた実力あるからさわアイスを

ぜひお取り寄せしてみてください。

夏季の繁忙期以外は通販可能ですよ。

からさわさんのウェブサイトはこちらから↓↓

http://www.ice.jcom.to/


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からさわさんでアイスを食べた後、Volvoを渡船に乗せ、向島に渡りました。
残念ながら目的の後藤ラムネは閉まっていましたけど、渡船初体験のおやぢらぢをさん、
二人で160円という福本渡船の激安さに驚かれていました。
だって橋渡っても150円だもん。

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帰りは管理人の提案でおやぢらぢをさんの大好きなミニカーをたくさん置いている真備町にある「エラヤ」さんに途中下車。初めての訪問とのことで、満足されて管理人としても行ってよかったなと思った尾道路上観察とミニカーな一日でした。

ミニカーショップ「エラヤ」
〒710-0303
岡山県倉敷市真備町川辺2126-2
電話:(086)‐698-7190
営業時間:10:00~19:00
定休日:火曜日

エラヤのウェブサイトはこちらから→http://www.d5.dion.ne.jp/~eraya/

おやぢらじをさん、次回は山陰やじきた出雲そば道中膝栗毛ですね!!
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Seoul (再びのソウル)
僕は、一年前ソウルという街を訪れていた。Tokyoとあまり変わらない数の人々が暮らすこの街は、ほかのアジアの都会のようにどこか洗練されていなくて雑多で猥雑だ。
市場の喧騒、早口でまくしたてる言葉、男や女達のケンカ、屋台の匂い、あやしげに蠢く人々。
深夜、タクシーに乗り込み、ファッションビルと呼ばれる高層ビルに向かう。
平日の深夜にも関わらず、若者、家族連れが通りを埋め尽くす。
いったいこの人たちはいつ眠るのだろう。
このバイタリティがこの国を支えているのだろうか?

ソウルの日本にはない雰囲気が僕はたまらなく好きだ。
日本から90分のフライトなのに、大陸のアジアに身を置いているという不思議な感じ。
そんな感じをふたたび味わいたい。

そういうわけで、僕はこうしてふたたびのソウルにいる。

1年前、たまたま見つけたその店がに気に入り、何本かの地下鉄を乗り継ぎ、記憶を頼りに路地を抜け、昨年訪れた店を探した。やっとたどりついたその店は、入り口に寂しく「close」の札がかかっているだけだった…。片言の日本語を話す、韓国美人は、はるばる日本からやってきた一見の客を温かくもてなしてくれた。地元客にもめったにださないであろうお茶を僕にふるまってくれた。

「また、来てください。」そういう彼女に再会したかった。しかし、それはかなわなかった。ホテルにもどり一年前にもらったビジネスカードに電話したが、聞き取れないアナウンスが流れるだけだった…。

彼女は、今どこでどうしているのだろうか。そして、僕のことを覚えているだろうか。



今日はテヴィン・キャンベルの「can we talk」(君に伝えたいことがある)でお別れです。

今日は、朝から11月で閉園になる佐久間レイルパークと名古屋に行こうと始発の相鉄で横浜に行こうと早朝4時に起床し準備をしていました。そして家を出て最寄駅に向かう途中のコンビニでおにぎりを買い支払をしている最中にガタガタと店が揺れ始め、また地震です。

おとといの地震はかなりひどくて少しヤバいなという思いはありましたが、それに比べたら大したことないので、電車も2分遅れで到着したし、たぶん大丈夫だろうと横浜駅に行き、静岡行きの電車を待っていると地震で静岡県がひどいとのことで、小田原-熱海間が運転見合わせで回復の見込みは分からないとのこと。

それでもかすかな希望を持ちながら電車に乗り込み一路西へ向かいました。平塚、大礒と小田原が近づいてもそれらしきアナウンスはありませんでしたが、やはり小田原で運転休止。どうやら始発から新幹線も動いていないらしく、遠くに見える新幹線コンコースには電車を待つ大勢の人が見えます。

どうやらこれ以上待っても時間の無駄という感じなので仕方ありません、旅は中止にしてせっかく小田原にいるので、箱根登山鉄道にでも乗って帰ろうとすぐに来た小田急で箱根湯本まで行きます。

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箱根登山鉄道は粘着式(普通鉄道)としては日本最高勾配の鉄道で80‰というとてつもない急勾配を電車で登り、最小半径30mという急カーブを曲がりながら終点強羅まで勾配と急カーブをいく鉄道です。昔、高校生の時に1度だけ乗ったことがありますが、記憶が薄れているので、ちょうどいい機会でした。

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こんな感じでで何回もスイッチバックを繰り返し、山を登って行きますが、大雨でしかもまだ8時前という時間、車内は2両あわせて10人も乗っておらず、かぶりつきの運転席後ろは貸切状態です。おまけに運がいいことに旧型電車がやってきてそれに乗ることができました。

当初目的は果たせませんでしたが、早起きは3文の得な一日でした。
僕は、一年前ソウルという街を訪れていた。Tokyoとあまり変わらない数の人々が暮らすこの街は、ほかのアジアの都会のようにどこか洗練されていなくて雑多で猥雑だ。
市場の喧騒、早口でまくしたてる言葉、男や女達のケンカ、屋台の匂い、あやしげに蠢く人々。
そんな雰囲気が僕はたまらなく好きだ。

日本から90分のフライトなのに、大陸のアジアに身を置いているという不思議な感じ。
そんな感じをふたたび味わいたい。
そういうわけで、僕はこうしてふたたびのソウルにいる。

同じ大学の体育の授業で知り合った一人の韓国人留学生がきっかけで、隣国に興味を持つようになった。そして何回かソウルを訪問し、なんだかたくましいこの国に引かれていく自分がいた。
当時からアウトドア好きだった僕は、登山用品や米軍払い下げのサープラス用品を安く購入できる東大門市場で欲しい商品を探すのも、渡韓の目的の一つでもあった。

何本かの地下鉄を乗り継ぎ、記憶を頼りに路地を抜け、昨年訪れた店を探した。
やっとたどりついたその店は、入り口に寂しく「close」の札がかかっているだけだった…。
片言の日本語を話す、韓国美人は、はるばる日本からやってきた一見の客を温かくもてなしてくれた。地元客にもめったにださないであろうお茶を僕にふるまってくれた。
「また、来てください。」そういう彼女に再会したかった。しかし、それはかなわなかった。ホテルにもどり一年前にもらったビジネスカードに電話したが、韓国語のアナウンスが流れるだけだった…。
あの店は、やはりなくなっていた。

彼女は、今どこでどうしているのだろうか。そして、僕のことを覚えているだろうか。


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ちょっと前の青春18きっぷのADのコピーにタイトルのような文言がありました。毎回、毎回青春18きっぷのポスターとADの写真とコピーにはひそかにやられます。この写真も哀愁漂う感じが、いかにもローカル線が似合う青春18きっぷにはぴったりだと思います。

この年の3月のダイヤ改正でついにJR米坂線の旧型キハが引退するということを知り、どうしても写真を撮りたくなり、仕事がはねた後、関越を飛ばしてやってきた。ここの他にもJR大糸線ではオリジナルエンジンを積んだキハが3両活躍している。ここのは、オリジナルエンジンではないけど、外観は昔のままである。最終列車まで少し時間があるので、入場券を買い、先週は大勢マニアが来ただとか、撮影マナーが悪いなど駅員さんは話してくれた。

米沢駅発の通しの最終列車は18:25で、もうここより先はこれ以降の時刻は列車は来ない。人っ子一人いない、駅前、ホームに出ると週末の雪がかろうじて残っている。遠くの踏切の音と赤い点滅が見え、かすかにヘッドライトの明かりが見え始めると、レールを伝わって列車がやってくる音がどんどんと近づいてくる。

最終列車からは数人の学生とサラリーマンが降りてきた。毎日乗っているであろう見慣れたキハがもうすぐいなくなることを彼らは知っているのはどうか分からない。この風景が見れるのもあと1週間。そんな余韻に浸る間もなく最終の新潟行きは定刻に漆黒の闇に消えていった。

JR米坂線・小国駅 キハ28+キハ47 SO905ics Cyber Shot
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冬の北東北は個人的には好きだ。
特に、弘前、五所川原、黒石、角館、観光客があまり行かないようなマイナーなまち、それも昔は栄華をきわめたが、いまは寂れてしまったような裏寂しいところが最高である。

東北の冬は長く寒い。昼間は短く太陽が出たと思うと鉛色をした雲にかき消され、すぐにそれは夕闇へとかわる。その瞬間が僕は好きだ。東北の鈍行はまた、寂しいくらいに少ない。数時間に1本、いや1日に数本しかないようなローカル線を時刻表を駆使してダイヤをつなぎあわせ、時には時刻表には載っていないローカルな路線バスを乗り継ぐことで、うまく接続がいかない机上旅がパズルのように解かれていく、そんな醍醐味が北東北の旅にはある。

地元の高校生や病院帰りの初老などのにぎやかなおしゃべりに耳を傾けながら、日々の煮詰まった頭をリフレッシュしながら、レールのつなぎ音を聞きながら、遠くの白い山々を眺めるのは格別です。

photo:正月の帰省客を無事に乗せ、いつもの時間、いつもの乗客、いつもの駅に戻った。1月の平日、冬季限定のストーブ列車は私ともう一人の乗客しかいなかった。津軽鉄道、五農校前
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昼前には当初集合場所であった東海北陸道の荘川インターそばの道の駅に到着しました。道の駅はお風呂もあるのですが、さっき平湯温泉に入ったばかりだし、道の駅の割にショボイレストランが1軒のみに何も食べることろがありません。トイレに行きなにげに路線バスの時刻表を見ると、すぐに、郡上八幡行きにコミュニティバスが来るようなので、それに乗って途中の郡上白鳥(ぐじょうしろとり)で下車して路上観察することにしました。

白鳥だと、インターからすぐなのですぐにコン太さんに連絡して白鳥でインターおりて拾ってもらう段取りをしました。白鳥は美人の湯という温泉がありまして、肌がつるつるになる素晴らしい温泉なのですが、自分の何回か行ったことありますが、町の中心を歩いたことはなく、旧い町並みを見ることができ、充実した時間となりました。
フィラデルフィア
何時間眠ったか分からない。気がつくと夜は明けていた。チェックアウトをすませタクシーでPenn Sta.へ。そこからメトロライナーでフィラデルフィアへ。少し遅れ気味でフィラデルフィアに到着した僕をバーバラは待っていてくれた。彼女とは前年に知り合った。たまたま地元フィラデルフィア・インクワィアの編集者として勤務する彼女は全米の新聞記者・編集者と共に日本に取材にきていたのだ。運良く仲良くなる機会を得た僕は、厚かましくも彼女の好意に甘えここで2週間お世話になることになった。

僕の初めての海外生活がたった3週間だけどスタートした。編集者である彼女は夕方仕事にでかけ、帰宅は深夜というハードワーク。僕とはすれ違いの生活。彼女はシングルで家族は猫だけ。毎日僕は2両編成のバスに乗ってダウンタウンに出かける日々がスタートした。夕方帰ると一人で夕食。でも彼女は週末とバカンスを前借りしてくれ僕をいろんなところへ連れて行ってくれた。大リーグの試合、国立公園、新聞社の仕事場、彼女が思いつくであろうところ全てに…。そう、まるで息子のように遠慮なくさりげなく…。人種も違い血も繋がっていない僕を…。

知らない人はアメリカを自由の国、実力社会で実力がものをいうと思うかもしれないが、アメリカこそコネクションの国であり、れっきとした差別が依然として残っている。そういう中で、ジャーナリストという立場を差し引いても異国の人間に親身になってくれるバーバラという素晴らしい人と自分は出会ったのだと思った。

あっという間に予定の滞在期間は過ぎ、フィラデルフィア最後の夜、彼女はこういってくれた。「アメリカでもう少し生活する気があれば、また戻ってきなさい。そしていつでも我が家を使いなさい」と…。今の僕だったらすぐにでもふたたびアメリカの大地を踏んだに違いない。でも当時の僕はそこまでお金がなかった。勇気がなかった。恐かったのかもしれない。今、自分は日本にいてサラリーマン生活。でも18歳の夏、ほんとに自分一人で何もかも計画して単身アメリカに渡ったこの経験は自分の千里眼としては間違っていないと思っている。

そう、あのひと夏の経験が僕を一皮もふた皮も成長させてくれたんだった。あのまま帰国してアメリカにとどまっていたら今ごろ何をしているだろうか?想像しても想像しきれない。

その日、ワシントン発シカゴ行きの夜行アムトラックに乗るため、幾週間ぶりにフィラデルフィア駅に僕はいた。バーバラは発車間際までずっと一緒にいてくれた。別れ際、長い長い抱擁とさよならのkissをした。まるで親子のように…。涙を流すバーバラに僕も目頭が熱くなりどんどん涙が流れた。最後の言葉は「また戻ってきなさい」みたいな言葉だったと思う…。

あれから約10年。それ以来、彼女とはcardのやりとりはあるが、会えれていない。バーバラ、今でもあのときのことしっかり覚えているよ。そしていつまでもあなたのことは忘れないよ。




久々旅行回想です。

前日8時間遅れの中国東方航空で、私はは上海に降り立った。飛行機のトラブル、不安定なフライトが共産圏にきたことを物語っていた。深夜の上海で途方に暮れ、Taxiでやっとたどりつた飯店で、私の到着を従業員は待っていてくれた。小さなレストランで、私のためにお粥を出してくれ、かき込むようにそれを食べて、錆色をした水でシャワーを浴びて、そして大陸での一日目は更けていった。

翌朝、朝市で揚げパンを買いこみ、空港に向かった。そもそも私がこの国に来たのは、日本で交流のあった金姫(キンヤ)さんに会うためだった。彼女は私の出身地、広島の友好都市、重慶の外事弁公室の若きスタッフであり、ひょうんなことから、年も近い我々は仲良くなり、彼女から重慶に来ないかとの誘いを受けたのであった。

前年の夏、アメリカを一人で旅した私は、海外にますますのめり込み、バイトをしては机上旅行をしたりして、さらに海外に渡る夢を募らせていた。そこへ彼女から中国に来ないかという誘いを受け、一も二もなく中国行きを決めたのだった。私が旅好きになったのは沢木耕太郎の深夜特急に影響を受けたのは、このページで何度も書いたが、やはり香港を起点に大陸を旅した、そんな沢木と同じ大陸に自分も身を置いてみたいという気持ちがそうさせたのかもしれない。

とにかく、空港に到着し、警官につかまらないかビクビクしながらも重慶行きの便に乗り込み、思いのほかきれにな機内を過ごし、ほこりっぽい重慶に私は下りたのだった。
出口には私の名前を書いたカードをもったアムロナミエ似の金姫さんが、待っていてくれた。

以下続きは気まぐれup

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1時間ちょっとで御殿場に到着、高速料金も厚木からだと1400円で以外と安かった。
雨で霞んでいた富士山がだんだんと見えてきました。
晴れ男、kubottchiの面目躍如です。
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できるだけ、東名の渋滞を避けたかったので早めにサイトを出ました。
会長にはまた寄り道するの??と聞かれましたが、直行直帰ですと答えたものの、やっぱりウロウロと寄り道したくなって、せっかくなんで大井川鉄道のSLを見て帰りました。

早めに会場を後にしたにもかかわらず、やはり厚木から渋滞しているみたいで、秦野大井で高速を下りて下道で帰りました。
初めて通った道ですが、美味しそうなお店をたくさんみつけて、ちょっと得した気分でした。
皆さんは、無事に帰宅されましたでしょうか?

お疲れ様でした。
以前livedoor blogで旅の思い出というカテゴリーで学生時代に回った海外の思い出を綴っていたのですが、そのカテゴリだけFC2に移植できないので、再度構成しなおして少しずつ再upしていこうと思います。重複しますけど、livedoor時代に書かなかったことも書いていきたいと思います。


「N.Y.」
機内アナウンスがニューヨーク、ラ・ガーディア空港の温度は摂氏21度と告げた。
米粒のようなニューヨークの光が急速に大きくなり目の前に広がってくる。関空を出発したときは日本人の団体観光客で満席だったノースウエスト機は乗り換えのデトロイトでカナダ方面に消え、ニューヨーク行きの国内線乗り継ぎゲートにたどり着いた時には東洋人は私と香港系の青年だけになっていた。

気鋭の若手写真家、小林紀晴の「ASIAN JAPANESE」に触発いや、さかのぼれば沢木耕太郎の「深夜特急」に刺激され、いつかニッポンを飛び出そうと思っていた。
初めての海外、そして一人旅。自分で希望してやってきたアメリカ。「英語も満足に話せないのになんて無謀なんだ。」
周囲にいわれた言葉が頭をよぎり、急速に心臓が高鳴ってくる。
それでも私はアメリカを目指した。
シートベルトのサインが点灯し、飛行機は着陸体制に入る…。目をあけた瞬間、英語のアナウンスで自分が無事にニューヨークに到着したことが分かった。
かつてLL Beanのカタログや洋雑誌で匂ったアメリカの匂い。「来たんだ。」という実感。襲ってくる不安。緊張。

予行演習していたイミグレーションでの質問をあっけないほどパスしたら、そうそこは自由の国アメリカだったが現実にはそうはいかない。
次々を湧き出てくるがごとく英語の洪水に私はうろたえるどころかすぐにでも強制送還してもらいたいような気持ちになった。

すべてのスケジュールを一人で管理…聞こえはいいがホテルの予約しかしていなかった私はホテルにどうやって行くのかさえ調べていなかった。
informationと書かれたサインにたどりつき初老の男性にHILTONまで行きたいと告げるとちょうど乗り合いタクシーの締め切り直前で、私は運よくそのタクシーでHILTONまで行くことができるらしい。
アメリカの友人を訪ね初めて海外に来たこと、英語はあまり得意でないこと、一人旅だということを話すと、その男性は「サムライスピリット」といい、大丈夫、無事にHILTONまで行けるからというような返事をしてくれ、チケットの半券を渡してくれた。

その偶然みつけた乗合タクシーでやっとの思いでたどりつたホテル。チェックインを済まし、帰りのリコンファームを済ませたら私はすることがなくなった。
明日から一人でなんとかしないといけないという不安と憧れの国アメリカに着いた興奮。18歳の夏。時差ぼけで眠れないはずなのに、いつのまにか、パトカーのサイレンを子守唄にして貪るように眠りについた。
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数年前に惜しまれつつ廃止になった岐阜は名鉄・美濃町線の電車が高知で第2の人生を
送っていました。岐阜在住のコン太さんは懐かしい塗装と電車なのではないでしょうか?

高知の路面電車は下の写真のように道路併用で狭い路地を走ったり、かと思えば専用軌道
で旧い電車がモーターの唸りをあげながら飛ばすとこありと名鉄・美濃町線と似たような
ところがあり、電車も喜んでいるでしょう。
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旧片野パン店。現在は営業していませんが、自由に中に入れます。
minatoさんも僕も今回一番気に入りました。minatoさんはオリンパスペンでシャッター切りまくり!
今回はデジカメしか持って来ませんでしたが、なんかminatoさんが真剣に撮影しているのを見ると、自分もT2で撮影したくなってきた!!
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わらべさんでたっぷりお腹を満たし、ついでにマイナスイオンを補給して上下の町に戻って町並み散策開始です。

minatoさんも僕も路上観察が大好きで、赤瀬川原平の路上観察倶楽部を真似していろいろ建物を撮影したり、面白いものがないか発見したりするのが楽しいです。

写真は昔の建物を使った、家具屋さん運営のカフェ。敷居高そうなんで、ちょっとパス。お客さんも誰もいないし…。
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近江八幡はもう何度も何度も来ていますが、今まで一度も八幡山には登ったことがありません。せっかくだからということでロープーウェーで登り頂上付近の感じが写真です。

琵琶湖が遠くまで見渡せるのは年に数えるほどしかないそうですが、今日は今まで自分が琵琶湖に来て一番遠くまで眺めることができました。
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3月31日で部分廃止になった西鉄宮地岳線(4月1日から西鉄貝塚線に改称)の終着駅の津屋崎駅。廃止3日前の3月28日の昼下がり風景。
もう、今は閉鎖されていることでしょう。
もうここには電車は来ません。数週間前までは黒光りしていたレイルが錆で覆われてしまったのか、そう思うと胸が痛くなります。

自分は最近廃止にはるローカル線にはなるべく訪問しています。それはさよなら乗車という言葉に象徴されるような冷やかし訪問かもしれません。
小さい頃、鹿児島出身の祖父に連れられて旅行に連れていってもらった時に眺めた時刻表の地図には北九州に網のように巡らされた炭鉱で産出された石炭を運ぶためのローカル線や、地方のローカル線がたくさん引かれていました。

まだまだ幼かった自分は、祖父のアドバイスも聞かず同じ路線ばかり乗り続け、そのうち石炭の斜陽化や、車の普及によって多くの路線がなくなったのに乗りそびれていました。その中には美しい風景の路線もたくさんあったのです。

そういうわけで、「おとな」になった今、できるだけ、その風景を瞼に焼き付けていたいのです。
もう、この駅には電車は来ないけど、自分の記憶や瞼にしっかりとやきついています。そしてこれからもできるだけ旅に出て、ニッポンの田舎を訪問しようと思います。

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