この鉄道はナローゲージといって通常のJRのレールの幅が1067㎜のところ、762㎜という狭いはばで日本では軽便鉄道とかナローゲージと呼ばれています。建設費用が安いことから戦前は各地に路線がありましたが、レールの幅が狭いので、車両も小さく輸送力に限界があることや、スピードが出せないということで、モータリゼーションの発達で昭和50年代初頭までに次々と廃止され、最後は岡山の下津井電鉄が平成時代まで残りましたが、それもなくなり、現在では一般乗客を乗せるナローゲージとしては、三重県にあり、三岐鉄道北勢線と近鉄内部線と日永線、あとは季節運行ですが黒部峡谷鉄道の3社しか日本では乗ることができません。
この頸城鉄道は、田園風景と鄙びた穀倉地帯を個性的な列車が走ることで有名で、ファンからは理想の軽便鉄道と言われ、石川県小松市から出ていた同じ762㎜の尾小屋鉄道(昭和53年廃止)とともに現在でも高い人気のあるナローゲージです。この鉄道についてはネコパブリッシングから詳しい書籍が発売になっていますので興味のある方はご覧ください。
この鉄道が廃止後に神戸のお金持ちの鉄道ファンが車両を買い取って密かに神戸の所有地の山林にコンクリートのトンネルをわざわざ作り、その中に買い取った車両を保管していた方が、いらっしゃいます。何十年も前に廃止になった車両が生き残っているというのは奇跡に近いです。神戸にあるランチアやイタリア車のレストアで日本でも有名なフルヴィアートさんのご尊父さんがその車両を買い取った方です。
この話をどこで聞きつけたのかわかりませんが、ちょうどその頃平成の大合併で、頸城鉄道の走っていた浦川原村の地名が消えるということで、何かやりたいという機運が高まり、この頸城鉄道の車両を里帰りさせて町おこしの一環として蘇らせようと計画されたのでした。現在はNPO法人として活動されている「くびきのお宝残す会」が保存活動されており、2005年から毎年秋に保存車両の公開を行っておられましたが、今年は200メートルほど、レールを敷き、車両を動かすということで、いてもたってもおれず、こうして上越までやってきたのでした。
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